| 紹介 | オブレート会の紹介第二次世界大戦の終結時にまずヨーロッパ、そして3ケ月後には環太平洋諸国において、1945年8月15日、日本の降伏と共に宗教的にも政治的にも活動の混乱が起こった。 政治的に注目すべき点は日本における民主化であった。その指導権はアメリカ、特にアメリカ軍隊にあった。その軍隊は日本の降伏の日から日本国を占領し、アメリカの軍以外に対して日本への全ての出入国の権利を制限した。 次第に日本は政治的にも経済的にも平常の生活を取り戻した。そこでアメリカ軍駐留本部は1946年12月25日以降、宣教師達の日本への出入国の権利を認めた。オランダのカトリックニュース公報『Katholiek Archief』の1947年3月28日付によれば「その時から全てのカトリック宣教師達はたとえまだ日本に住んだことがなくても、もし日本語を充分に理解しているならば、性別または国籍の差別なく日本に行くことが許可される。だが、その入国許可のための請求は日本におけるカトリック教会の復興委員会にあらかじめ申請しなければならない。そして全てこれらの情報は東京の上智大学のビッター神父から得ることが出来る」と掲載されている。 そうしているうちに、日本の「精神」「社会構造」「経済」「宗教」などに関して世界中の新聞雑誌に掲載され書籍などが出版された。 キリスト教派の区別なく、宣教師達はその機会が与えられれば、いつでも日本に来る用意が出来ていた。戦後最初に日本にやって来たのは、カトリックよりあらゆる種類のプロテスタントのグルーブだった。彼等は戦前から日本にいたプロテスタントの伝道士達に加わった。だが、日本のカトリックの司教団もそれに遅れをとらず、まもなくローマにおける布教聖省に申し出た。布教聖省は宣教会や修道会の総長達に連絡をとった。また宣教雑誌に非常に短い期間のうちに多くの日本人が改宗しているということを掲載したので、皆が幸福感でいっぱいになった。それはあたかも日本がまもなくキリスト教国になるかのようであった。 ちょうど順調に展開しているその時、オブレート会も日本の伝道のためにその一端を依頼されたニュースは、総長レオ・デシャトレー神父の1948年2月1日付のアロミ(オブレート会の公報機関の一つ)によってあきらかにされた。
オブレート会ローマ総本部, オブレート会創立132周年記念日に当る 私達はローマ教皇庁のたび重なる要求にこたえて、オブレート会の国際大神学校において荘厳にミサを捧げる間、尊敬すべき創立者ド・マズノ神父に嘆願し、神の慈悲をこい願い、また祈りのうちにド・マズノ神父の考えや想いにふれることの出来るカンピテリの聖マリア教会に於いて、聖母マリアに熱心に懇願したあと、汚れなきマリアの献身宣教会は1948年に日本に宣教師を派遣することを決定しました。 これは本会にとって、新しいそして重大な仕事です。他のいかなる宣教地からも宣教師を削りたくはないが、数多くの要求に応えなければなりません。私達は神の摂理、そして聖母マリアとイエス・キリストのご加護に希望を託します。 そして教皇庁の要求に応えたいが、恐らく創立者ド・マズノ神父の意向に反する行動でないことを確信しています。また日本での宣教活動によって、その活動を維持するのに必要な宣教召命が生まれるでしょう。この神聖な瞬間において、あなた方神父・修道士達にとても親しみを感じています。あなた方自身が必要とするものは、全世界のキリスト信者達の必要を忘れないことでしょう。そして非常に重要な決定を下したことに対して、きっとあなた方は賛成することでしょう。 あらゆるところでこの新しい宣教地区のための召命を得るために、積極的な運動が切実に行われることを希望します。そしてまた、この同じ目的のためにあらゆる場所で本会の成員は熱心に神や保護者ド・マズノ神父の導きを祈ることを希望します。 この仕事はとても困難なものになるでしょう。しかし「迷っている羊を牧者につれもどす仕事をなしとげることが必要です。」 詳細を伝えることは出来ませんが、その詳しい情報を得次第、伝えます。だが一つだけ確かなことは、この2・3ヶ月以内に日本に派遣する宣教師を見つけなければならないことです。誰にするか、何人にするか、その答えは聖母マリアとそのオブレート会士から得られます。 親愛なる神父そして修道士のみなさん、尊敬すべき創立者がまことの聖性への道を歩むようにと呼びかけたように、私もそうします。「神の名において私達を聖なる者となし給え。」 私は主キリストと聖母マリアの名において、あなた方を祝福し、再度献身の心をあらわします。 総長レオ・デシャトレー神父
総長レオ・デシャトレー神父は長い間、宣教師派遣の要…に抵抗してきたといわれているが、パウロ田口司教のねばり強さがついに勝った。田口司教は大阪教区長であり、当時四国の知牧区長でもあった。田口司教は、他のいかなる宣教会もこの貧しい地域での宣教は難しいとして宣教活動にためらいを見せていることに抗議することによって、オブレート会総長レオ・デシャトレー神父の賛成を勝ち取った。その当時までの四国全域はドミニコ会の管轄下にあった。そのドミニコ会は1904年にフランスのパリ外国宣教会から受け継いでいた。総長レオ・デシャトレー神父は以下のようなことを言った、と報告されている。「もし誰も行かないのなら、私達が行くべきです。」本宣教会がその新しい宣教地区についてより多くのことを知るためには、あまり時間はかからなかった。
次の3月、アロミのフランス語版も英語版も布教聖省の総長宛ての日本という宣教地についての手紙の抜粋を紹介してくれる。「布教聖省は喜んで貴修道会に四国の4県のうちの一つを委ねられる。今までドミニコ会がそこで働いていた。大阪の司教兼四国知牧区長のパウロ田口芳五郎司教と教皇使節のマレッラ司教は首を長くして貴修道会の宣教師を待っている。」 1948年のエトゥド・オブラツというオブレート会の雑誌の「現代の年代記」の欄に「日出づる国において」という題名でウジェーン・マルコット神父が次のような文章を載せた。「大きな使徒職の仕事が待っている。1944年の統計によると、四国は400万の人口の中に771名のカトリック信徒と35名の求道者がいる。つまり5000人に一人であるが、全国的に見ると800人に一人である。そして他のキリスト教派の信者は2000人である。… 日本の教会に『第二の春』が来たというしるしが幾つかある。1941年から1947年までの間、東京司教区では求道者の数は497人から2500人に、大阪司教区では346人から1023人に、原子爆弾によって1万人の信徒が死亡した長崎司教区では99人から2564人になった。戦前ではキリスト信者の数は25万人だったが、現在60万人に上っている。そのうちカトリック信徒は10万9千人である。ある日本の新聞によると、近いうちにキリスト信者の数が200万人に上るだろうと伝えられている。」 四国の知牧区長でもある田口司教はオブレート会の総長に対して、四国の宣教活動を快く受け入れてくれたことについて、心から感謝の気持ちを表わした。田口司教は1948年4月5日付の手紙に次のように書いている。 「四国地区はカトリックの観点からすると、現在まで非常に貧弱な宣教下にありました。わずか10名ほどのスペイン・ドミニコ会の神父達が、その広大な島で働いていました。現在では、四国全地域の人口400万人に対して、カトリック信者は約800人しかいません。戦時中、私達の試練は苦しいものでした。 また、ただ一つの教会が、爆撃や地震による被害から逃れただけでした。現在私達が建設思案中の教会が7つあります。これらのうち4つは破壊されたもので、再建されるものです。で、またその他の3つは新しく建設されるものです。一方日本の他の地域と同じように、終戦以来多くの洗礼志願者達が、四国において真の信仰の勉強を心待ちにしています。オブレート会は、宣教職においては偉大にして有名です。貴会の神父達は、日本の宣教活動においては充分な用意がされていることはいうにおよびません。 ご存知のように、概して日本国民というのは充分教育を受けており、読書における情熱も持っています。また、日本人は独自の東洋文化を持っています。更に若い世代の人々は、多かれ少なかれ、西洋の生活様式を取り入れつつあります。 日本語は簡単ではありません。習得するには時間と忍耐が必要です。若い世代は現在英語を学んでいますが、神父達にとっては、説教したり指導したりするために、充分な日本語の知識を得ることが必要不可欠なことです。それ故、日本に来る全ての宣教師達は忍耐強くならなければなりません。また、あらゆる困難に直面する覚悟を持ち、充分な知的教育も受けていなければなりません。更に神父達は宣教を始める前に日本語を習得するのに、少なくとも1年半は必要でしょう。 四国には高知・徳島・愛媛・香川の4つの県があります。私は貴会に高知県を委ねたいと考えています。高知県は四国の中で最も大きい県で、人口は約80万人です。その県の主な市には高知(15万人)・赤岡・須崎・伊野・山田・窪川があります。住民達は物静かで従順な県民性を持っており、また文化・科学・詩を好みます。更に高知県は坂本龍馬や前首相の浜口雄幸氏・吉田茂氏など、偉大な人物の出身地でもあります。その上、風土は肥沃で気候は温暖です。 高知県には、四国最大のそして最も栄えている小教区があります。そこには約300人のカトリック信者がいます。また赤岡には信者20人の別の小教区があります。戦前には、スペインのドミニコ会の神父達が高知に小教区を持っており、そこにドミニコ会の修道本部がありましたが、空襲で破壊されてしまいました。また高知市には、日本人の女子修道会の愛子会(現姉妹会)があり、修道女達はそこで慈善活動を行なっています。」 次のページ | 1948年6月4日 |
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